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《みことば》 「油注がれた者」
《聖  書》 ヨハネによる福音書 1:6-8,19-28

油注がれた者

 エジプトを出たイスラエルの民は、オリーブの茂る豊かなカナアンの地に定住することができました。オリーブの実から取れる油は、穀物、ぶどう酒とならんで、神がイスラエルの民に恵まれた食べ物であり、神の祝福のしるしと考えられていました。油は、食べ物だけでなく、身体を強めたり、傷をいやしたり、又、光としても用いられてきました。
 「油注がれた者」は、ヘブライ語の「メシア」、ギリシャ語の「キリスト」という言葉の意味です。旧約聖書において、「油注がれた者」は、王、祭司、預言者に使われています。油注がれることは、神の霊によってある職務に任命されることを表わしていて、民の中で神の代理者としての役務をふさわしく果たすことができるように聖別されるのです。

預言者の召命

 イザヤは福音と解放を告げるために、洗礼者ヨハネは神の道を整えるためにそれぞれ預言者としての召命を受けました。預言者たちは、その当時の「油注がれた者」である王であっても、神に対して不忠実であると判断すれば、きびしい態度を示しています。
 私たちキリスト者もまた「油注がれた者」です。洗礼及び堅信の秘跡の時に、神の霊を受けたしるしとして聖香油を受けました。
 イエスの時代の人々は、「油注がれた者」へ多くの期待を持っていました。しかし、イエスはそうした人々の期待に答えないで死んでしまいました。
 私たちも「油注がれた者」が何とかしてくれると期待するのではなく、私たち自身が「油注がれた者」として、預言者の役割を果たしいくように努力する必要があります。今の社会の流れが、福音に反するものであれば、それに対してはっきりと自分の意見を表わしていきましょう。

待降節第3主日B年(瀧野正三郎)

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