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《みことば》 「キリスト」
《聖  書》 マタイによる福音書 11:2-11

 「キリスト」に対するイエスの時代の人々の期待がどのようなものであったかは、それぞれの人によって色々違っていたようです。旧約聖書の中では、ヘブル語で「メシア」という表現が使われていました。「キリスト」はそのギリシャ語訳です。
 厳密な意味での「キリスト」は、ダビデの契約から由来しています。サムエル記下7:1-17のナタンの預言において、『あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする』と約束されています。
 紀元前10世紀の統一王国時代の作と思われているバラムの祝福にも、民数記24:17で『ひとつの星がヤコブから進み出る』という句が見られます。
 その他、ヤコブの祝福(49:2-28)でも、『王笏(しゃく)はユダから離れず、統治の杖は足の間から離れない』と、将来の王を約束しています。
 しかし、キリストへの期待は、統一王国時代よりも王国の滅亡後に強くなっていきます。イザヤ書61章では貧しい者への福音が告げられています。洗礼者ヨハネに対するイエスの答えはこのイザヤ書から取られています。
 黙示文学(紀元前2世紀〜紀元後1世紀)の中においては、天的な先在者としての「人の子」と、「キリスト」の概念が混合して使われるようになっていきます。
 このように、人々は政治的な希望として、ダビデの子孫として油を注がれた王を強く望むようになっていきました。しかし、イエスはそうした期待に答えずに十字架の死を選びました。私たちはキリストにどのような期待を持てばいいのでしょうか。

待降節第3主日A年(瀧野正三郎)
[こじか1980.12.14号掲載文を加筆修正]]

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