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《みことば》 「洗礼者ヨハネ」
《聖  書》 ルカによる福音書 3:1-6

ヨハネの弟子たち

 洗礼者ヨハネについて、私たちはキリスト者の立場から書かれたものを参考にしています。つまり、洗礼者ヨハネのそのままの姿を私たちは見ていないということになります。
 洗礼者ヨハネにも弟子たちがいて、イエスの弟子たちと同じように、一つのグループを作っていたと考えられています。このグループの考えによると、洗礼者ヨハネは再来の預言者エリヤであり、列王記下1:8に出てくる「毛衣(ケゴロモ)を着て、腰には革帯を締めていた」エリヤの姿そのものでした。
 イザヤ書40:3に出てくる「道」は、神が世の終わりの日に全世界をさばきにこられるための道なのです。洗礼者ヨハネは、マラキ書3:1に出てくる使者として考えられていました。
 洗礼者ヨハネのもとに集まった人たちは、かなり広い地域に及んでいたようであり、しかも、社会の中流以下の貧しい人たちがほとんどであったようです。この意味では、イエスの弟子たちと同じような階層の人たちであり、共通する要素が多かったのです。

先駆者ヨハネ

 洗礼者ヨハネに先駆者という名称をつけたのはイエスの弟子たちです。神のさばきの前にくるエリヤと考えられていた洗礼者ヨハネを、イエスの到来の先駆者と位置づけたのです。
 洗礼者ヨハネが、世の終わりが近いことを人々にうったえて、罪のゆるしのための悔い改めの洗礼を人々にせまったことは、後にイエスの弟子たちの宣教の基本にもなっていきました。
 洗礼者ヨハネのもとに多くの人々が集まったのは、終末の近いことを感じて神の働きを期待していたからです。洗礼者ヨハネの行動を通して、私たちがクリスマスにおいて何を期待しているのかを見つめなおし、クリスマスの意味をあらためて考えましょう。

待降節第2主日C年(瀧野正三郎)
[こじか1979.12.9号掲載文を加筆修正]

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