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《みことば》 「荒れ野」
《聖  書》 マタイによる福音書 3:1-12

荒れ野

 「荒れ野」は、神から祝福されてない土地の事を指しています。水がほとんどなく、草木が少なく、そこに住む事は不可能に近いのです。そこには悪霊や獣が住んでいて、のろわれた場所と考えられていました。
 ところが、聖書における救済史的な見方によると、そこは祝福された場所となります。イスラエルの民はエジプトを脱出した後、40年間荒れ野をさまよいました。この時期を、後から振り返って見て、恵みの時と考えるようになったのです。つまり、荒れ野では神がいつもともにいて、イスラエルの民を生かしていたと考えました。逆に、恵まれた土地に入ってしまうと、イスラエルの民は神を忘れてしまい、神の怒りを招いてしまいました。
 こうした意味で、荒れ野は神との出会いの場であり、聖書の表現で言えば、恵みの地となります。

洗礼者ヨハネと荒れ野

 イエスの時代、クムランにはエッセネ派のグループがいました。このグループは、義の教師と呼ばれる指導者に従い、自分たちを「光の子」と考え、敵対者たちを「闇の子」と呼んでいました。そして、いつの日か神のメシアが敵対者に対して、人々を偉大な勝利に導くと期待して、「闇の子」が住むエルサレムの都から離れ、荒れ野で「光の子」の生活を営んでいました。
 これに対して、洗礼者ヨハネは荒れ野への逃避という考えは認めていませんでした。彼は荒れ野で教えを宣べ伝えましたが、かつての恵みの時代を思い起こさせるためでした。きたるべきメシアを迎えるために悔い改めの洗礼を受ける場所なのです。

待降節第2主日A年(瀧野正三郎)
[こじか1980.12.7号掲載文を加筆修正]

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