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《みことば》 「その時」
《聖  書》 マルコによる福音書 13:33-37

待降節

 いよいよ待降節に入ります。今日から教会のこよみは新しい年になります。それなのに、今日の福音は世の終わりについて述べています。これは人々が救い主を待ち望んでいたように、キリスト者もイエス・キリストの再臨を待ち望んでいるからです。待降節はイエス・キリストの誕生を待つ季節ですが、現代のキリスト者にとっては、同時にイエス・キリストの再臨を待つ季節でもあります。
 でも、私たちは何を期待して待っているのでしょうか。イエス・キリストが現代社会の諸問題をすべて解決してくれることを期待して待っているのでしょうか。イエス・キリストが私たちの期待に答えないことはすでにあきらかです。それなら、この待降節の間に何をすればいいのでしょうか。

その時

 イエスは、「その時は、だれも知らない。気をつけて、目を覚ましていなさい」と私たちに呼びかけます。イエスの時代の人々のように、その時が、いつ、どのようにして来るかを心配し、考えることに時間と労力を使うよりも、今どうするかが大切なのです。
 「待つ」ことは、決して消極的な行動ではありません。ただ、誰かが何かをしてくれることを待つのではなく、自分もできるだけのことをして待つことが大切です。
 「目を覚ます」ことは、自分たちの現状をよく見ることです。自分たちの回りでどのようなことが起こっているか。それは福音に照らして、ふさわしいことか、ふさわしくないことか。自分たちにできることは何かを考え実行してみましょう。

待降節第1主日B年(瀧野正三郎)

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