<ふりがなつき「PDF」ダウンロードできます>

《みことば》 「新しい人に生れ変る」
《聖  書》 ヨハネによる福音書 8:1-11

自分たちの生活を見直す

 来週から聖週間が始まり、もうじき復活祭です。四旬節の期間は、私たちがイエスの復活を心から喜べるように設けられたものです。私たちがイエスの復活を心から喜べるためには、今までの私たちの生活を反省し、新しく生まれ変る必要があります。
 自分たちの生活を見直して見ましょう。ただ人に対して悪い事をしたというだけでなく、自分がこうしたほうが良かったのにやらなかった事とか、自分が手伝いをするように言われていたのになまけてやらなかった事とか、又、他の人が自分にしてくれた事に対して、ありがとうと言って感謝を示さなかった事とか、色々と考えて生活を見直して見ましょう。

誰が人をさばくのか

 律法学者たちやファリサイ派の人々は、いつもイエスを困らせるような行動を取ります。この人たちはたぶんイエスが律法を守るかどうか確かめてみたかったに違いありません。今までにも、イエスが人間を大切にするあまり、律法を無視するような事をしているのを聞いていたに違いありません。イエスが罪を犯した女を石で殺す事に同意しなければ、律法違反者として訴えるつもりだったのです。
 ところが、イエスの答えは予想に反した事でした。「罪を犯したことのない者が、まず、石を投げなさい」。このイエスの答えは何を意味しているのでしょうか。人をさばくのは神だけであって、私たちは人をさばく事ができません。むしろできるのは、私たちがお互いに成長できるように協力し合う事なのです。イエスは罪を犯した女に、「これからは、もう罪を犯してはならない」と言いました。ただ過去の罪に目をつぶるのではなく、悪かった事は悪かった事と認めて、そのうえで自分を変えていくように求めているのです。
 復活祭を迎えるにあたって、イエスの死と復活の出来事に対して、弟子たちがどういう態度をとっていったのか考えて見ましょう。イエスの死に直面した弟子たちは、こわくてみんな隠れてしまいました。イエスが何かしてくださるだろうと期待していたのに、そのイエスがつかまって十字架刑で殺されたので、恐ろしかったのです。しかし、その弟子たちも、後で人々の前でイエスの事を伝えようと行動し始めました。弟子たちは、今まではイエスが何かしてくださると期待していたのに、今度は自分たちが何かしなければいけないと考えるようになったのです。私たちも新しい人に生まれ変りましょう。

四旬節第5主日C年(瀧野正三郎)
[こじか1989.3.12号掲載文を加筆修正]

inserted by FC2 system