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《みことば》 「一粒の麦」
《聖  書》 ヨハネによる福音書 12:20-33

 「一粒の麦が地に落ちて死ねば、多くの実を結ぶ」という言葉は、教会の歴史の中で、イエスのあがないの死を意味するものとして受けとめられてきました。しかし、それは一つの解釈であり、必ずしも皆が同じように解釈する必要もありません。
 聖書の中で、「あがない」という言葉がよく使われているのは、エジプト脱出についての箇所です。エジプト脱出は、契約と深く結びついています。『わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちをあがなう。そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。』(出エジプト6:6-7)。
 聖書の中で使われている「あがない」は、解放の意味で使われています。身代金を払って奴隷を買い戻すという一般的な意味では、奴隷はあくまでも受け身の状態です。契約ですから解放される人も呼びかけに答えなければなりません。
 イエスの死は、神がイエスの死において、人々を奴隷の状態から解放することを意味しています。これは、今まで人々が自らのうちにある神の力に気がつかないで、何らかの力を他に求めようとしていた状態からの解放を示しています。
 もし、私たちがイエスの死に直面して、目覚めないなら、イエスの死は無駄になってしまいます。弟子たちがイエスを見捨てて逃げ去ったままであったのなら、弟子たちにとってイエスの死は、ただ挫折と失望をもたらすだけの出来事で終わっていたでしょう。
 イエスの死は、弟子たちに死を恐れない勇気と、自分の力で物事を解決していこうとする行動力を与えました。弟子たちはイエスの死後、いろんな所へ出かけて行って、イエスの福音を人々に伝えていきました。
 私たちも弟子たちと同じように、神が何かをしてくださることだけを求めないで、自分でできることを積極的に実行していくことが必要なのです。そうすれば、一粒の麦であったイエスから多くの実をみのらせることができるのです。

四旬節第5主日B年(瀧野正三郎)

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