《みことば》 「いのちの源」
《聖 書》 ヨハネによる福音書 11:1-45
人のいのち
人の一生は長いようで短いものです。最近はその寿命も延びたといいます。しかし、この地球の歴史とくらべたらはかないものです。自分は死なないと思っていても、いつ死ぬかわからないのです。私たちの回りでもたくさんの人たちが死んでいます。
しかし、たとえ死んでも人々の中で語りつがれている人もいます。この人たちはたとえ短い一生だったかも知れませんが、その人のいのちはいつまでも続いているように思えます。
人はたとえ死んでも、その人のいのちは永遠に続いているのです。人のいのちは死によって終わるのではありません。
復活であり、いのちであるイエス
今日の福音にはラザロの物語が伝えられています。この物語は読んでいてもずいぶんと理解するのが大変です。ところで、復活とはどういう事なのでしょうか。
旧約聖書の中でも、すでに迫害の中で死んでいった人がどうなるのかという事が、人々の心配事として伝えられています。人々は自分たちの信仰を守ろうとして殺されていった人たちが、きっと永遠のいのちを受ける事を次第に信じるようになっていきました。
マルタがイエスに対して言った言葉は、この考えにもとづいています。正しい人たちが終わりの日に復活する事を、マルタも聖書の教えとして信じていました。
しかし、イエスはそれでも、マルタに終わる事のないいのちがある事を教えています。イエスの言っているいのちは、私たちが人の一生として考えているいのちとは違うようです。いのちの源であるイエスを信じる事によって、私たちは死を恐れない勇気を持つ事ができるのです。
四旬節第5主日A年(瀧野正三郎)
[こじか1990.4.1号掲載文を加筆修正]