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《みことば》 「神のひとり子」
《聖  書》 ヨハネによる福音書 3・14〜21

キリスト賛歌

 私たちは信仰告白の形式としては、「父のひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます」という文章をミサの中で使っています。しかし、初めからこのような信仰告白の形式ができていたわけではありません。
 一番最初の信仰告白の形式は、「神はイエスを死者のうちからよみがえらせた」という簡単なものでした。それにさらに、いろんな言葉が加わり、イエスの復活についての信仰告白の形式が早くから伝えられていきました。
 しかし、それとは別に、イエスの復活について述べない信仰告白の形式も伝えられていきました。それが、キリスト賛歌と呼ばれるものです。
 フィリピの信徒への手紙2・6〜11には次ぎの言葉が伝えられています。
 『キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。』
 ここでは、イエスが天から下り、天に上げられるという図式が使われており、復活についての信仰告白とは全く別のものです。
 ヨハネによる福音の記者も、このようなキリスト賛歌の図式に従ったと考えられます。

キリスト論

 イエスの死後、時間がたつにつれて、信仰告白の形式もだんだんと変化していきます。
 最初はイエスの復活や、天に上げられることが中心として述べられていましたが、その後、イエスが、神であり、神のひとり子であるという点が強く信仰告白として語られるようになりました。
 こうしたキリスト論は、その後の教会の歴史の中で、大きな関心を持たれるようになり、これに対するいろいろな意見が出されていきましたが、何回かの公会議の結果、イエスは、ペルソナにおいては人性と神性を持つが、神と等しいものであり、この考えにあわないものは、しりぞけられていきました。
 こうした意味で、「神のひとり子」という呼び名は、教会のある時期から使われるようになったものであり、最初から使われていたものではありません。ヨハネによる福音の中で、イエスの言葉として伝えられている箇所は、記者がその時代の信仰告白の言葉を使ってイエスの言葉として書き残したものです。

四旬節第4主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1980.9.14号掲載文を加筆修正]

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