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《みことば》 「神殿」
《聖  書》 ヨハネによる福音書 2・13〜25

エルサレムの神殿

 エルサレムの神殿は、当時のユダヤ宗教体制の中心であり、シンボルでした。旧約時代の最初のころは、神のすまいとして幕屋がありました。イスラエルの民は放浪する間この幕屋をかついで移動していました。
 ところが、約束された土地に入り、定住するようになると、ソロモン王が神殿を建て、イスラエルの礼拝と祭儀の中心の場所としました。このエルサレムの神殿が中央聖所と呼ばれるようになり、イスラエルのすべての人が、この神殿に捧げものを持って行かなければならなくなりました。
 しかし、ネブガドネザルにひきいられたバビロンの軍隊によって、この神殿は破壊され、イスラエルの民はバビロンへ連れていかれました。もはや神殿がないので、律法がユダヤ教の中心をしめるようになりました。
 バビロンからもどったイスラエル人たちは、簡単な神殿を造りましたが、ヘロデ大王は紀元前二十年ごろから大規模な修理拡張工事を始めました。イエスの時代には、白い大理石の美しい本殿をもつ立派な神殿ができあがっていました。
 しかし、イスラエルの民衆にとって、この神殿は、自分たちが血のにじむおもいで出した税金によって建てられたものであり、また、同時に宗教的な支配体制のシンボルでした。人々はローマに税金を払うと同時に、神殿税も納めなければいけなかったのです。さらに、律法の規定により年に三度エルサレムの神殿に行かなければなりませんでした。貧しい民衆にとって、これはとてもつらいことでした。
 イエスの行動を理解する場合に、このような背景を知っておく必要があります。イエスの行動が、ただ単に祈りの場所で商売をしてはいけないという理由から説明されがちですが、それでは十分に理解されていません。イエスの行動は、一人一人の貧しい民衆の怒りをあらわしたものとして受けとめていくべきです。

神のすまいであるからだ

 イエスが神のすまいについて考えたとき、それはエルサレムの神殿ではありませんでした。エルサレムの神殿には、病人や罪人は近づけなかったのです。イエスは、むしろ、病人や罪人の中に神が住んでおられると考えていました。
 私たちが神のすまいについて考えるとき、ついつい教会の聖堂を考えてしまいます。それはある意味では、イエスの時代の神殿と同じような役割をはたしています。
 しかし、神のすまいについて、もっと広い心で理解していかないと、とんでもないまちがいをおかしてしまいます。時と場合によっては、私たちが神と出会う場所は、聖堂の外にあります。
 一人一人の人間のからだが神のすまいであり、私たちがまわりの人と出会っていく中で神と出会うのです。そのために、誰も差別されてはいけないし、すべての人が対等に神のすまいなのです。

四旬節第3主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1980.11.9号掲載文を加筆修正]

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