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《みことば》 「栄光」
《聖  書》 ルカによる福音書 9:28b-36

変容物語

 福音書の中で一番理解しにくいのは、変容物語かもしれません。一般に説明されるとき、イエスは神の子であったのだから、その神的栄光が現われただけであると言われます。確かにこの説明は分かりやすいです。しかし、福音書が書かれた動機から考えるとこの説明では不充分です。
 ある聖書学者は、この変容物語と洗礼物語とを復活物語と同列に置きます。復活とはイエスが神の子であり、神の右に座すものであることを認めたことと考えると、洗礼物語においては「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(3:22)という声が天から聞こえ、変容物語においては「これはわたしの子、選ばれた者」(9:35)という声が雲の中から聞こえます。

神の栄光の現われ

 つまり、イエスの神の子としての栄光は、復活以後に現わされたのではなく、すでに弟子たちと共に過ごしていた間に、現われていたことになります。しかし、弟子たちの理解においては、イエスが神の子としての栄光を現わすのは復活以後であり、後から振り返って見て、あの時、あの場面でイエスの神の子としての栄光が現われたと判断できたのです。
 以上のように考えると、弟子にとって変容物語は、復活以後に初めて理解できたことであり、変容物語そのものの中に復活についての理解が含まれていたことになります。
 復活物語の中のエマオに向かう弟子の話(24:13-35)によると、弟子たちは復活したイエスに出会っていてもそれがイエスだと分かりませんでした。このような体験と同じような体験を変容物語において弟子たちが持ったにちがいありません。
 神の栄光が、いつどのようにして現われるのか私たちにはわかりません。たいていの場合は、私たちが気づかないうちに起こっています。その時は何とも思っていなくても、後から振り返って見て、あの時神が私に呼びかけておられたのだと気づくようになるのです。

四旬節第2主日C年(瀧野正三郎)
[こじか1980.3.3号掲載文を加筆修正]

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