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《みことば》 「人の子」
《聖  書》 マルコによる福音書 9・2〜10

 ヘブライ語やアラマイ語で「人の子」は、一般的に人間を意味していました。
 『そのあなたが御心に留めてくださるとは
    人間は何ものなのでしょう。
  人の子は何ものなのでしょう
    あなたが顧みてくださるとは。』(詩編8・5)
 人は神の前に無に等しいが、神は恵みを与えてくださるという考えがこの言葉に含まれています。
 しかし、ダニエル書7・13〜14では、黙示文学的な表現を使って、イスラエルの民が終末の時に諸国の民を支配すると述べられています。
 さらに、聖書の偽典であるエチオピア語エノク書では、人の子が天的な存在として描かれ、かれは終わりの時に審判の座につき(61・1)、義を所有し、救いの恵みを啓示するものとして、義人の復活をもたらします(61・5)。
 福音書の中でも、黙示文学的な表現で世の終わりについて述べる時に、「人の子」が使われています。
 しかし、マルコによる福音書では、イエスの受難を語る時に、特別な意味で「人の子」が使われます。
 8・29で、ぺトロはイエスに対して「あなたはメシアです」と答えます。これに対して、イエスは誰にも言わないようにと命じています。このことはイエスが当時の人々が期待していたようなメシアではないことを示しています。
 むしろ、人の子は多くの苦しみを受けてそれ故に栄光を受けるという、イザヤの苦しむしもべの姿(52・13〜53 ・12)を思い起こさせます。
 私たちも、こうした聖書の中の「人の子」の使い方を通して、神が何でも解決してくれることを期待するのではなく、イエスと同じように、毎日の生活の中で、それぞれの役割を果たしていけるように努力していく必要性を学んでいくようにしましょう。

四旬節第2主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1976.11.28号掲載文を加筆修正]

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