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《みことば》 「試み」
《聖  書》 ルカによる福音書 4:1-13

イエスが、四十日間荒れ野で誘惑を受けた物語について、マルコによる福音(1:12-13)では、ただ、誘惑を受けたことだけが伝えられています。それに対して、ルカによる福音と、マタイによる福音(4:1-11)では、イエスと悪魔とのやりとりが伝えられています。順番は違いますが、三つの話をそれぞれ伝えています。このように、イエスが誘惑を受けたことをくわしく伝えているのは、どういう意味があるのでしょうか。
 これはむしろ、人間が誰でも受ける試みの内容だと言えます。パンの話は一番よく出てくる話です。お前が神を信じているなら、なぜこの世には、飢えで苦しんでいる人があったり、人間同志が殺しあったりするんだ。神はどうして、飢えている人にパンを与えないんだ。困っている人をどうして助けようとしないんだ。神はなんと無力なんだ。こうしたことは、よくいろんな人から言われます。
 神殿の屋根から飛び降りる話は、人間のおちいりやすい問題を示しています。神がすべてより良いようにはからって下さるのなら、自分たちは何もしないで、神に信頼していればいいんだ。そうあくせくしなくても、神にお祈りしていれば、きっと神がうまくはからって下さる。こうした理由から、あまり現実に目を向けなくなってしまう人がたくさんいます。
 世界中の国をやるという話は、地上に神の国を建設しようとする気持ちのあらわれです。どんな手段を使ってでも、この地球上に神の国を建設しなければならない。そのために、相手を受けいれるのではなく、相手を屈服させてしまうのです。自分が正しいことをやっているのだから、これでいいのだという考えにおちいってしまいます。
 このように、誘惑物語の中には、人間が受ける試みが入っています。この試みを受けながら、人間は成長していくことができます。人はいろんな試みを受けることによって、ためされ、きたえられていきます。

四旬節第1主日C年(瀧野正三郎)
[こじか1980.2.24号掲載文を加筆修正]

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