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《みことば》 「共にいる」
《聖  書》 マタイによる福音書 28:16-20

神のすまい

 昔の人たちは、神がどこにいるかと聞かれると、指を上に向けて、天にいると答えました。昔の人たちは、私たちのように、宇宙がこんなに広いものとは思っていませんでした。地球は平らなものと思っていましたし、地の果てに行くと落ちてしまうと考えていました。又、地面の下にはよみがあり、上には空があって、そこを太陽や月が行ったり来たりしていると考えていました。
 このような宇宙の考えを持っていれば、神は天にいると考えてもおかしくありません。悪い人は地の下のよみに落とされ、よい人は天に上げられて、神のもとに行くと考えるようになりました。今の私たちとは、だいぶ違った考えを持っていたのです。
 イエスが天に上げられる話しは、イエスが神の子であり、十字架にかけられて殺されても、神と共にいつもいて、私たちを見守っていて下さる事を示しています。

共にいる神

 聖書では、神の名をみだりに唱えてはいけない(出エジプト記20:7)と教えられていますが、神が恐れおおい方で人間はとても近づけないものと思っていたからです。
 しかし、出エジプト記3章では、神がモーゼをイスラエルの民に遣わすにあたって、『わたしは必ずあなたと共にいる』(3:12)という保証を与えています。本当は神の前に立つ事ができない人間も、神のいつくしみによって立つ事ができるのです。
 イエスの弟子たちは『共にいる』という言葉に支えられて、挫折から立直り、教会の集まりを持ち、神の使いとして人々にイエスの事を伝えていきました。私たちも共にいる神の力によって、福音の証し人となれるのです。

主の昇天の祭日A年(瀧野正三郎)

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