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《みことば》 「契約」
《聖  書》 マルコによる福音書 14:12-16,22-26

祭儀における契約更新

 感謝の祭儀の中で、私たちはくりかえしイエスと弟子たちの最後の食事の記念を行なっていますが、同時に、くりかえし信仰宣言を唱えています。これはイスラエルの民がくりかえし行なってきたことです。
 社会の普通の契約では、お互いが条件を出し合い、それに従うことが求められます。それを守らないとせっかく契約したことも意味がなくなります。安心して生活することもできません。契約は信頼関係によってはじめて成り立ちます。  契約を結ぶと権利と義務とが生じます。聖書における契約も同じです。神は民に祝福の保証を与えますが、民は神からの掟を守ることが求められます。しかし、そこに違う面があります。普通はお互いの協議によって結ばれるのですが、聖書の契約は、神からの恵によるものです。

新しい契約

 聖書には、旧約聖書と新約聖書があります。これはキリスト教の立場から、古い契約の本と新しい契約の本を表わしています。どうして前に契約があったのに、もう一度新しい契約がいるのでしょうか。普通の契約の場合、もしどちらかが約束を守らないとけんかになります。でも、しばらくたってからなかなおりをして、もう一度約束をします。
 聖書の契約も同じです。神が契約を守らないということはありませんが、人のほうが契約を守らないのです。神は昔イスラエルの民がエジプトで苦しんでいた時に、彼らを助け出しました。そしてシナイの山で契約を結びました。神はイスラエルの民を守りますが、そのかわりに、民は神のいいつけを守らなければなりません。
 でも、イスラエルの民はせっかく神と契約を結んだのですが、それを守る力がありませんでした。せっかく自分たちの土地を持つことができたのに、手ばなすことになってしまいました。イスラエルの民は苦しみながらも、神がかならずみんなを見捨てないという信仰をもち続けました。
 そこで、神は私たちともう一度契約を結びました。古い契約を人は守ることができなかったのですが、新しい契約ではイエスの助けによって、神のいいつけを守る力が私たちに与えられています。

キリストの聖体の祭日B年(瀧野正三郎)
[こじか1975.4.13号掲載文を加筆修正]

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