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《みことば》 「パン」
《聖  書》 ヨハネによる福音書 6:51-58

天からのパン

 出エジプト記16章を読みますと、イスラエルの民がエジプトを脱出するにあたって、約束された国に入るまでの期間荒れ野をさまよっていた事が伝えられています。そこでイスラエルの民はいつも「天からのパン」であるマンナを食べて生活していました。
 この荒れ野における生活は、いつまでもイスラエルの民にとって忘れられないものとなりました。荒れ野の道においては、神がいつもイスラエルの民を導いていましたので、この期間を後で振り返ると、むしろ恵みの時として考えるようになりました。
 荒れ野でマンナを食べた話しと平行して、パンについて考える場合には、やはり種なしパンの事もみる必要があります。出エジプト記(12:1-27)においては、イスラエルの民がエジプトを脱出する前夜、神の使いがエジプトのういごを打たれる時、イスラエルの家を過ぎ越された事を記念して種なしパンの話しが伝えられています。
 この種なしパンの祭りは、イスラエルにおいて繰り返し祝われるようになり、イエスも弟子たちと共に、最後の晩さんにおいて種なしパンを食べました。

いのちのパン

 この最後の晩さんの記念が、今教会ではミサという形式で引き続き行なわれています。このミサの中で捧げられるパンの特色は、これがイエスの体であると言われている事です。
 今日の福音では、イエスが「いのちのパン」であると言われています。ミサにおいて単にイエスの死を記念するだけではなく、今もここにおいて私たちに力を与えているイエスと出会う事が大切なのです。とりわけ、パンとぶどう酒という目に見えるしるしを通して、私たちはイエスと出会う事ができるのです。このパンを食べ、このぶどう酒を飲む事によって、永遠のいのちを得るのです。

キリストの聖体の祭日A年(瀧野正三郎)
[こじか1980.6.8号掲載文を加筆修正]

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