<ふりがなつき「PDF」ダウンロードできます>

《みことば》 「使い」
《聖  書》 使徒言行録 2:1-11

 聖書における「使い」は、とくに神の使いという用例が多く見られます。しかも、神の使いは、単に何かを伝言する使者の役目を果たすだけでなく、主の栄光そのものを表すものです(出エジプト記23:21)。
 神の使いの中で、とくに神からイスラエルの民に遣わされたものとして、モーセをあげることができます。もちろん、モーセは神の使いというよりは、預言者のような活動をするのですが、しかし神から遣わされたことははっきりしています。
 出エジプト記3:1-12の記事の神とモーセとのやりとりのうちに、モーセの役割と特徴があらわれています。モーセがしりごみしている時、神はモーセにしるしを与えます。それは、神がモーセと共にいるということです。
 これが聖書の中に出てくる神の使いの特徴です。神が神の使いと共にいて、その栄光を表すのです。神が直接人に現れるのでなく、人を通して語りかけるのです。神は歴史を通して人々に語りかけています。私たちはよく注意して神から遣わされた人の声を聞かなくてはなりません。いつ語りかけてこられるかわらないのです。
 イエスは、当時の人たちにとっては普通の人間でした。故郷の町ナザレでは、「あいつは大工のせがれではないか」とけなされています。イエスを神の使者として、イエスを通して神の声を聞いた者は、イエスの弟子となりました。イエスが普通の神の使いと違う点は、イエス自ら使いを送るということです。それを聖霊と呼びます。
 しかし、実際に神の使いとして、人々に働きかけたのは聖霊を受けた弟子たちです。弟子たちはイエスから遣わされて、全世界に行って、イエスの福音を知らせるようになりました。だから、私たちが今神から語りかけられる場合も、直接に神のことばを聞くために聖書を開くだけでなく、イエスをキリストと信じている多くの人たちを通して聞くことも多いのです。その意味でも、一人一人のキリスト者が神の使いとならなくてはいけないのです。

聖霊降臨の主日第1朗読C年(瀧野正三郎)
[こじか1975.7.13号掲載文を加筆修正]

inserted by FC2 system