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《みことば》 「霊」
《聖  書》 使徒言行録 2:1-11

 聖霊降臨について理解する事はとてもむずかしい事です。使徒言行録のこの記事は、私たちに何を教えているのでしょうか。この出来事は、私たちには関係ない事なのでしょうか。 私たちは、死んだはずのイエスがよみがえって弟子たちを力づけ、又、私たちをも力づけて下さっている事を知っています。イエスには、もはや以前のように人々と共に生活されたのと同じ形では出会えません。一人の人間として私たちの内に生き、働くのではなく、私たちの中にいるのです。
 霊は、イエスが私たちと共にいる事を気づかせる神の霊なのです。これは、私たちに生きる力を与えるもので、すべての人をイエスのもとに一つに集める愛の力です。
 イエスは、弟子たちに霊(助け主)を送る事を約束しましたが、この霊は決して肉体と対立するものではありません。霊の意味を知るために、聖書でこの言葉がどのように使われているか見てみましょう。
 「霊」という言葉は、聖書では、息(ヨブ記15:30)や、生命力(マタイ27:50,創世記2:7)、空気としての風(創世記8-1,ヨハネ3:8)の意味にも使われています。
 霊の意味で使われているのには、活力・勇気(ヨシュア記5:1)、生き物の霊(ザカリア12:1,詩編78:39)、感情の基としての霊(イザヤ26:9,マルコ2:8)、神の霊(民数記24:2)、又、神の霊として「生きる力を与える霊」(創世記1:2,ルカ4:18,ヨハネ3:5)などがあります。
 このように、「霊」という言葉は色んな意味を含んでいます。ですから、聖霊という事がなんとなくわかりにくいものになるのです。どうしても空想だけに終わってしまう事がよくあります。しかし、自分たちを生かす基のようなものである事を理解すれば、はっきりとつかむ事ができなくても、なんとなく頼もしくなってきます。
 弟子たちと同じ聖霊に生かされた私たちも、弟子たちと同じように活動できるのだという自信を持つ事が大切です。聖霊の事を理解しても、聖霊によって生かされた人にならないと意味がありません。

聖霊降臨の主日第1朗読A年(瀧野正三郎)
[こじか1976.6.6号掲載文を加筆修正]

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