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《みことば》 「聖堂」
《聖  書》 ヨハネによる福音書 2:13-22

聖堂  教会で集まる場所として聖堂があります。しかし、もともとキリスト者が集まる場所としては、家庭が考えられます。使徒言行録によると、最初の信者たちは「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き」(2:46)、「毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え」(5:42)ていました。まだユダヤ教の中の一つのグループであった時は、神殿にも参っていましたが、パンを裂いたりする時は、家庭が集まる場所でした。
 新約聖書の他の個所には、「彼らの家に集まる教会の人々によろしく」(ロマ16:5)とか、「その家に集まる教会の人々」(1コリ16:19)、「彼女の家にある教会の人々」(コロ4:15)、「あなたの家にある教会」(フィレ2)という表現が見られます。
 キリスト教がユダヤ教から分かれ、発展するにつれて家庭で集まるにはいろいろと弊害もでてきたのでしょう。神殿に代わるものとして、聖堂が作られていったことが考えられます。聖堂は地域の人々が集まる場所としての役割もあったのでしょう。

神と出会う場所

 イエスが神と出会う場所として考えていたのは、エルサレムの神殿ではありませんでした。エルサレムの神殿には、病人や罪人は近づけなかったのです。イエスは、むしろ、病人や罪人の中に神が住んでおられると考えていました。
 私たちが神と出会う場所を考えるとき、ついつい教会の聖堂を考えてしまいます。それはある意味では、イエスの時代の神殿と同じような役割をはたしています。
 しかし、神と出会う場所について、もっと広い心で理解していかないと、とんでもないまちがいをおかしてしまいます。時と場合によっては、私たちが神と出会う場所は、聖堂の外にあります。 一人一人の人間のからだが神のすまいであり、私たちがまわりの人と出会っていく中で神と出会うのです。そのために、誰も差別されてはいけないし、すべての人が対等に神のすまいなのです。

11月9日ラテラン教会献堂の祝日(瀧野正三郎)
[こじか1980.11.2号掲載文を加筆修正]

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