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《みことば》 「ナザレ」
《聖  書》 マタイによる福音書 2:13-15,19-23

出身地

 地方から都会に来た人たちの中には、言葉や習慣の違いなどでけいべつされたり、ばかにされたりして苦しんでる人がいます。でもよく考えてみると、むしろ都会に住んでいる人たちの方が、はずかしい面を多く持っている場合があります。
 都会に住んでいる人たちは、自分たちのはずかしい点をたなにあげて、地方出身の人をばかにすることがあるのです。地方から出て来た人は、都会に住んでいる人たちのはずかしい面を見て、もっと自分に自信を持って生活できるはずです。  わたしたちは、知らないうちに多くの人たちを傷つけています。又、知らないうちに人を差別しています。しかし、知らないからといって、すまされる事ではありません。

ナザレのイエス

 イエスがどこで生まれたかと聞くと、たいていの人は、マタイによる福音書1〜2章と、ルカによる福音書2章にもとづいて、ユダヤのベツレヘムと答えるでしょう。でも、聖書をもっとよく読んで見ると、マルコによる福音書も、パウロの手紙も、ヨハネによる福音書も、この事について何も言っていません。ただ、イエスがガリラヤのナザレの出身である事を述べるだけです。
 聖書の中で、イエスはたびたび「ナザレのイエス」と呼ばれています。ところが、ユダヤの人々に対して、イエスがキリストである事を証明するためには、どうしても、イエスがダビデ王の子孫で、ベツレヘムで生まれなくてはいけなかったのです(ヨハネ7:42)。
 イエスは自分がナザレの出身であるからといって、はずかしく思う事はありませんでした。むしろ、都会に住んでいて自分は正しく生活してきたとほこっている人をきらわれました。イエス自身もこの人たちからけいべつされていました。
 私たちも、どこの出身かによって人を差別しないよう気をつける必要があります。どこの出身であろうと、同じ人間なのです。

聖家族の主日A年(瀧野正三郎)
[こじか1976.11.14号掲載文を加筆修正]

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