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《みことば》 「人の死」
《聖  書》 ルカによる福音書 22:14-23:56

人の死

 私たちはなかなか死について考えることはできませんし、まさか自分がすぐ死ぬと思っている人はいないと思います。もちろん、病気のために死にそうな人とか、年を取っている人は別です。死について考えさせられるのは身近な人の死です。今まで同じ屋根の下にいた人が、ある時から突然いなくなるのですから、やむをえません。
 しかし、人間にとって死とは常に解決できない問題です。死は人々にとって不安の種です。誰もが死に対して不安を持つものです。けれども、死後についての考え方によって、死に対する受け取り方は違ってくるのも当然です。
 聖書の中でも、時代と共に死についての考えが変わっています。初めは、ただ人が死ぬとちりに返ると考えられていて、それ以上の事を詳しく考えもしませんでした(創世記3:19、コヘレトの言葉3;20)。でも、ある人たちは人が死ぬと地の下にあるよみに下ると考えるようになりました(ヨブ記10:18-22)。そして、自分たちの信仰を守ろうとして殺されていった人たちが多くなると、正しい人が生き返り、永遠のいのちを受けると考えるようになりました(イザヤ書26:19、ダニエル書12:2-3)。このように、聖書の中でも時代や人により色々な考えがあったのです。

イエスの死

 イエスは言葉と行ないによって福音を伝えていましたが、その頃の支配者たちから良く思われなかったために、十字架の上で殺されてしまいました。人々はイエスが自分たちの王国を建ててくれるだろうと期待していましたが、その期待がむなしいものとなました。イエスに従っていた弟子たちは、ぺトロをはじめ皆どこかへ逃げてしまいました。弟子たちもイエスが王国を建てられる事を期待していたのでした。
 どうしてこんな事になったのでしょうか。イエスはただひたすら、その頃皆から差別され、しいたげられていた人たちの立場に立って行動し、人間が人間らしく一人前に生きられるように主張しました。そのために、イエスの行動はその頃の支配者を批判する事になってしまいました。支配者たちは人々を締めつける事によって、楽な生活をしていたのです。イエスが十字架刑で殺されたのも、イエスがその時の支配者であったローマに敵対する者、逆らう者と考えられたからです。
 イエスの死は、私たちに何を示しているのでしょうか。もし、私たちがイエスに従いますと言うのなら、私たちもイエスと同じように行動する事を求められているのです。そうすると、もしかしたら支配者に逆らう者として殺されるかもしれません。

受難の主日C年(瀧野正三郎)
[こじか1990.4.8号掲載文を加筆修正]

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