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《みことば》 「死」
《聖  書》 マタイによる福音書 27:11-54

人の死

 私たちの回りでも、すでにたくさんの人たちが死んでいます。私たちも、交通事故や、病気でいつ死ぬかわかりません。こちらが注意していても、交通事故に巻き込まれる可能性は十分あります。又、かぜだからといって、いいかげんにしてほっておくと、肺炎になって死ぬ可能性もあります。
 ところで、死んだ人はどこへ行ってしまうのでしょうか。死んでしまったら、何もなくなると思っている人もいます。又、ある人は、死んだ後は天国に行くのだから、今はできるだけ何もしないでしんぼうしようと考えています。
 でも、それでは神の呼びかけに答える事にはなりません。死んだ後の事をくよくよ考えるよりも、今どうしたら神の呼びかけに答えられるかを真剣に考える必要があります。

イエスの死

 イエスは、言葉と行いによって福音を伝えていましたが、その頃の支配者たちからよく思われなかったために、十字架の上で殺されてしまいました。人々は、イエスが自分たちの王国を建ててくれるだろうと期待していましたが、その期待はむなしいものとなりました。イエスに従っていた弟子たちは、ペトロをはじめ、みんなどこかへ逃げてしまいました。弟子たちも、一時は人々と同じようにイエスが王国を建てる事を期待していたのでした。
 どうしてこんな事になったのでしょうか。イエスは、ただひたすら、その頃回りの人から差別され、しいたげられていた人たちの立場に立って行動し、人間が人間らしく生きられるように主張しました。
 そのために、イエスの行動はその頃の支配者を批判する事になってしまいました。支配者たちは、人々をしめつける事によって楽な生活をしていたのです。
 イエスの死は、私たちに何を示しているのでしょうか。もし、私たちがイエスに従いますと言うのなら、私たちもイエスと同じように行動する事を求められているのです。そうすると、もしかしたら、支配者にさからう者として殺されるかもしれません。

受難の主日A年(瀧野正三郎)
[こじか1990.4.8号掲載文を加筆修正]

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