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《みことば》 「重荷」
《聖  書》 使徒言行録 15:1-2,22-29

 ユダヤ人でない異邦人がキリストの教会に入るようになると、ユダヤ人たちから不満が出てきました。異邦人でキリストの教会に入って来た人も、ユダヤ人になるための割礼を受けないといけないという事でした。
 この事は最初の教会の中で大問題に発展しました。そして、最初の使徒の会議が開かれて、新しくキリストの教会に入って来た異邦人に対して、無理な重荷を負わせないようにという事が決められました。
 ただここで問題となるのは、この同じ使徒会議について、使徒言行録が伝える点と、ガラテヤの信徒への手紙2:1-10が伝える点にくいちがいがあるという事です。
 パウロの証言によると、異邦人キリスト者であったテトスは割礼を強制されず、使徒会議においても、ただ貧しい人たちの事を忘れないようにという点だけを要求された事を伝えています。ここでいう貧しい人たちとは、エルサレムの教会の事をさしていたと考えられています。そして、ぺトロには割礼を受けた人々に対する福音が任され、パウロには異邦人に対する福音が任されました。
 これに対して、使徒言行録の記事では、異邦人に対して割礼を強制しないが、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行ないとを避ける事が要求されました。
 以上の二つの立場から書かれた記事を通して、何を読み取ればいいのでしょうか。最初の頃の教会が二つの立場、つまり、ユダヤ教の中にとどまりながらキリストの教会を作っていこうとしていた立場と、ユダヤ教の枠を越えて全世界にキリストの教会を作っていこうとしていた立場があったということです。そして、同じ会議で話された事に対して別の見解が出された事になります。これはいつの時代にもある事で、それぞれの立場の人を納得させるために必要な手段だったに違いありません。
 しかし重要な事は、キリスト教が公の場で異邦人を仲間に受け入れた事であり、これによってキリスト教がユダヤ教から決定的に分離できたという事です。今から考えると当り前のような事でも、当時のユダヤの律法社会の中で生きている人たちにとってみれば、生きるか死ぬかの重大な問題だったのです。この重大な問題に直面しながらも、最初の教会の人々は、新しく入って来る仲間に対して無理な重荷を負わせる事をしないで、よりよい道を選ぶ事ができました。この重大な選択によって、キリスト教は全世界に広まっていく事ができました。

復活節第6主日C年第1朗読(瀧野正三郎)
[こじか1980.5.11号掲載文を加筆修正]

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