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《みことば》 「異邦人」
《聖  書》 使徒言行録 10:25-26,34-35,44-48

 「異邦人」の問題は初期のキリスト教にとって一番大きな論争点でした。この問題に関して、二つの立場の人たちが対立しました。
 一つの立場は、エルサレム教会を中心としたもので、キリスト教の洗礼を受けて教会の仲間に加わるためには、ユダヤ人の律法で決められた割礼を受けなければいけないと考えていました。割礼を受けることによって、その人がユダヤ人になることを求めたのです。言葉をかえれば、異邦人はキリスト教の仲間に加わることができないということです。この人たちはユダヤの律法に忠実であり、イエスがキリストであると主張する以外は、他のユダヤ人とかわりありませんでしたし、ユダヤ社会の律法の秩序のもとに生活していました。
 これに対立する立場として、ヘレニストと呼ばれていたヘレニズム地域のユダヤ人キリスト者の教会がありました。この人たちの中にはユダヤ人でない人たちも含まれていました。この人たちにとって必要なのは、イエスをキリストとして認めることであり、救いは律法を守ることによっては与えられないのです。パウロは回心の後このグループの代弁者となりました。
 パウロの証言によると、ガラテヤの信徒への手紙2:1-10のところで、異邦人のキリスト者であったテトスも、割礼を強制されず、使徒たちの会議においても、ただ貧しい人たちのことを忘れないようにという点だけを要求されたことが伝えられています。そして、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任され、パウロには割礼を受けていない人々に対する福音が任されました。
 使徒言行録15:1-35に伝えられた使徒たちの会議では、異邦人に対して割礼を強制しないが、ただ、偶像にささげられた肉と、血と、絞め殺した動物の肉を口にしないこと、また、みだらな行ないを避けることが要求されました。
 この結果、キリスト教が公の立場で異邦人を仲間に受け入れ、ユダヤ教から分離することになりました。今から思えばあたりまえのことでも、当時の人たちにとっては二つの立場に別れて対立するほど大きな問題でした。

復活節第6主日B年第1朗読(瀧野正三郎)
[こじか1979.5.20号掲載文を加筆修正]

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