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《みことば》 「道」
《聖  書》 ヨハネによる福音書 14:1-12

 道にはいろいろな道があります。人が歩く道、車の通る道、電車が走る道、水が流れる川や水道、電気が流れる電線などがあります。
 でもこのような道とはべつの道もあります。柔道、剣道、茶道、書道といったものです。これらの道は修業を経て自分をきたえていくためのものです。ですから、これで終わりということはなく、いつまでも続く道です。
 人の一生も道にたとえられます。自分の歩いた道はたとえ短くても、くっきりとあとが残っています。そして、これから先も続いていきます。

神さまの道

 神さまを信じることも、人の一生と同じように道にたとえられます。イスラエルの民が神からの救いを語るときも、ひとりの人の歩みのように語ります。
 神さまは常に共にいて、イスラエルの民を守っておられました。しかし、イスラエルの民は神さまの道からそれるようなことをしてしまいました。
 それゆえ、神さまはイスラエルの民をその国から追放して、苦しみを味わわされました。それはイスラエルの民がはじめからの神さまの道にもどるためでした。民は神さまの道に気づき、神さまにもどるようになりました。

道であるイエス

 宗教において、悟りをひらいたように錯覚する人がいます。悟りを開いた人はむしろその歩みを止めない人かもしれません。私たちはいつも求めつづけなければなりません。
 私たちにとって、イエスこそ道です。イエスに従うということは、これこれの教えを理解できましたというものではありません。ある意味では、イエスの生き方を追体験することかもしれません。イエスは人の生き方がどうあるべきかを身をもって示されました。
 私たちはすでにイエスの道を歩いていますが、これからも歩き続けなければなりません。

復活節第5主日福音A年(瀧野)
[こじか1976.3.14号掲載文を加筆修正]

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