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《みことば》 「証言」
《聖  書》 使徒言行録 3:13-,17-19

使徒たちの説教  使徒言行録の中には、ペトロの説教が、2章、3章、4章、5章、10章に、ステファノの説教が、7章に、パウロの説教が、13章、14章、17章、22章、24章、26章などに伝えられています。
 こうした使徒の説教は、それぞれの使徒がその時々に語ったものを書き残したものだと考えられがちです。しかし、よく調べてみると、そこに共通点が見られます。つまり、イエスが十字架にかけられて殺されたこと、このイエスを神がよみがえらせたこと、証人のこと、悔い改めのすすめです。
 こうした共通点が見つけられるようになると、これは初代教会のケリュグマ(宣教内容)の図式にしたがっていると指摘されるようになりました。たしかに、私たちがいま使っている信仰宣言の図式に近いことは確かです。
 聖書として書き残される前に、伝承という形をとって伝えられていましたので、使徒たちは伝えられた伝承に従って宣教を行ないました。ですから、かれらの語る言葉の中に古い伝承が見いだされてもおかしくありません。
 しかし、もう一歩考えをすすめて、当時の文学の表現方法に注意が向けられねばなりません。ギリシャを中心に発達したヘレニズム文化の中で、当時作品の中の主人公の口をかりて作者の主張を述べる文学様式がさかんでした。ギリシャ語に精通していると自認するルカ福音書記者は、このような文学様式を見逃しませんでした。彼は使徒たちの説教の中に自らの神学を入れることに努力しました。
 ルカによる福音書と、使徒言行録を通して強く強調されているのは、悔い改めということです。罪人が悔い改めるとき、過去の責任を問うことなく、神がゆるしてくださるという点は、ルカ福音書記者の思想の特色です。こうした点をふまえて、あらためて説教の文章を読むと、確かに彼の思想の特色が表れていることが分かります。彼が、ぺトロにしろ、ステファノにしろ、パウロにしろ、神の霊の道具としてしか考えていなかった以上、こうした描き方は不自然なものとはならないのです。

復活節第3主日第1朗読B年(瀧野正三郎)
[こじか1979.4.29号掲載文を加筆修正]

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