<ふりがなつき「PDF」ダウンロードできます>

《みことば》 「計画」
《聖  書》 使徒言行録 2:14,22-28

 旧約聖書において、神の救いの計画をたんてきに述べているのは、祭儀における信仰告白です。
 「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。エジプト人はこのわたしたちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。わたしたちが先祖の神、主に助けを求めると、主はわたしたちの声を聞き、わたしたちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、この所に導き入れて乳と密の流れるこの土地を与えられました。わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました。」(申命記26:5-10)
 このような信仰告白は他にもしばしば伝えられています。預言者たちは、こうした神の計画にもかかわらず、イスラエルの民が神を忘れてしまったので、神に立ち帰るようにと民に告げます。そして、将来、神からの救いを約束します。
 新約聖書では、旧約の祭儀における信仰告白のかわりに、使徒たちの説教が伝えられています。ここで、イエスの死と復活は神の計画によるものである事が説明されています。イエスこそは、神から遣わされた者であり、イエスによって、救いが実現したと述べています。それは、イスラエルの先祖がエジプト脱出を経験した事を述べている信仰告白にかわるものです。
 コリントの信徒への手紙一では、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだ」(15:3)と伝えられています。使徒たちの理解によると、神の救いの計画に対して、イスラエルの民が答えきれなかったので、イエスが神から遣わされる必要があったのです。
 使徒たちは、神の救いの計画を人々に知らせる役割を与えられていると感じて、危険をおかしてでも福音宣教に励んでいきました。

復活節第3主日第1朗読A年(瀧野正三郎)

inserted by FC2 system