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《みことば》 「使徒」
《聖  書》 使徒言行録 5:12-16

使徒

 聖書の中には、イエスの弟子に対して、「十二人」「使徒」「弟子」といった表現が見られます。これらの言葉はそれぞれの含みを持って語られていますし、又同じ聖書の中でも各書物によってはかなり違った意味で用いられています。
 「使徒」については、使徒言行録ではっきりと使徒の条件が次ぎのように書かれています。
 『主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです』(1:21-22)。
 これは、十二人の一人ユダが欠けたのでマティアを選ぶ時に話された言葉です。ここでは十二人と使徒が同じ意味で使われています。
 ところが、パウロは1コリント15:9で自分も使徒の一人であると主張しています。しかし、パウロは使徒言行録で言われているような使徒の条件にはあいません。つまり、使徒言行録の著者とパウロとでは使徒についての理解が違っているのです。  パウロはイエスと実際に行動を共にしたことがないし、イエスの死以前に見たことがなかったのです。使徒言行録では、パウロは使徒たちに承認されて、使徒たちによって派遣されたとみなされています。
 ところが、パウロは復活したイエスに出会った事を自ら証言して、自分も使徒たちの中の一番小さな者だと主張しています。そして、その選びも神から直接召された者として考えていました。
 こうして見ると、聖書をよく読まない限り、ある部分をかじっただけでは正確な言葉の意味がつかめない事がよくわかります。

使徒言行録

 使徒言行録はルカによる福音書と合わせて一つの本として書かれたと考えられています。使徒言行録に出てくる主役は誰なのかと言うと、実は、ぺトロでもパウロでもありません。使徒たちはあくまでも道具としてしか考えられていません。神の霊が最初から最後まで主役なのです。神の霊である聖霊が教会を導いていた事、そして、イエスについての宣教がエルサレムから始まって、その頃の中心であったローマの都にまで達した事を、使徒言行録の著者は伝えたかったのです。

復活節第2主日第1朗読C年(瀧野正三郎)
[こじか1980.4.13号掲載文を加筆修正]

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