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《みことば》 「よみがえり」
《聖  書》 ヨハネによる福音書 20:1-9

 イエスの「よみがえり」、ないしは「復活」について色々議論されています。しかし、はっきりしている事は、よみがえったイエスに出会ったという弟子たちの体験がなかったら、キリスト教は成立しなかったという事です。
 イエスの十字架刑による死は、イエスに従っていた弟子たちにとって、挫折と失望をもたらしましたが、その直後に弟子たちは「神はイエスを死者のうちからよみがえらせた」と言って人々に向かって告げ始めました。いったい弟子たちは何を体験したのでしょうか。あれほどイエスの死に際して挫折と失望におちいっていた弟子たちが、人々に向かって福音を述べ出したのですから、何かがあったはずです。
 歴史的に見ると、イエスという男がティベリウス皇帝の時代にポンシオ・ピラト総督によって死刑に処せられた事、彼に従った者たちはキリスト者と呼ばれるようになり、今日までイエスをキリストと告白している事しか明らかではありません。キリスト教以外では、イエスのよみがりについての証言はなく、よみがえりについての弟子たちの体験がどんなものであったかを知るには、キリスト教内部の文書によらざるを得ません。
 よみがえりについての最初の証言が、福音書の復活物語でない事は確かです。近年の聖書学の研究においては、最初の宣教内容として、まず「神はイエスを死者のうちからよみがえらせた」、次ぎに「キリストは復活させられた」という文章が考えられています。
 復活物語はそれぞれ違った形で伝えられ、それぞれの人の復活体験を語るという形で書かれています。ある時には、イエスに出会っていても気がつかないでいます。とにかく、イエスは新たな出会いをもたらしたのであって、人々と共に生活されたのと同じ形で出会うのではないという事です。
 私たちも又、よみがえったイエスに出会う事ができます。もちろん、弟子たちとは違った形です。よみがったイエスに出会った体験は、弟子たち一人一人でも違っていました。そういう意味で、私たち一人一人も違った体験をしています。それは自分の今までの生涯を通しての出来事や体験によって変わってきます。

復活の主日C年(瀧野正三郎)
[こじか1976.4.18号掲載文を加筆修正]

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