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《みことば》 「復活」
《聖  書》 ヨハネによる福音書 20:1-9

復活

 「復活」という言葉は、「よみがえり」という言葉に置き換えてみても、はっきりとつかむことができません。しかし、キリスト教の出発点は、この「復活」という言葉の中に含まれています。ですから、復活についてよくわからなければ、キリスト教のことについても、あいまいな知識しか持っていないことになります。
 ただ、復活について説明することはむずかしいです。むしろ、弟子たちが体験したように、自分がぶつかっている壁を乗り越えることによって、復活を体験できるのです。苦しさを知らず、ただなまぬるい生活をしていれば、イエスの弟子たちと同じ体験をすることはできません。
 イエスは弟子たちが望むものを与えませんでした。むしろ、絶望を与えました。絶望を知った弟子たちは、逆に希望を見つけることができました。それこそが、「復活」という言葉で表された弟子たちの体験なのです。

復活伝承

 ヨハネによる福音書では、墓がからであったことを告げるだけで復活に関する告知はありません。ここでは二人の弟子の姿を中心に描いています。マルコによる福音書では、若者がイエスの復活を告げますが、婦人たちは恐ろしくて誰にも話さなかったと伝えています。
 福音書に伝えられている復活伝承をくらべると、墓がからであったという点と、婦人たちがそれを発見したという点では一致していますが、細かい描写はそれぞれの伝承によって違っています。それは、伝承が伝えられていく中で、それぞれの信仰の立場の違いが影響したからです。
 復活伝承を伝えた人々が何を伝えたかったのかを、弟子たちの体験に照らして考えることが大切です。

復活の主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1979.4.15号掲載文を加筆修正]

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