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《みことば》 「秘跡」
《聖  書》 ルカによる福音書 21:5-19

しるし

 「しるし」という言葉はとても大切です。私たち人間は何かのしるしにたよって生きています。もし今の社会の中からしるしを取ってしまったら、私たちはどうやって生きていくのでしょうか。とても生きていく事はできません。
 例えば、言葉もしるしの一つです。言葉というしるしに頼って私たちは自分の考えや感情を伝えています。もちろん、他にも手段がありますが、それも、手振りや、目くばせや、色々なしるしを使うのです。
 私たちの信仰生活においても同じ事が言えます。もし信仰を表明するしるしがなかったら、どうなるでしょうか。どうしても、神の事など忘れてしまうでしょう。
 旧約のイスラエルの人たちが神の事を信じるようになったのも、しるしによるのです。人々はその体験をいつまでも語り伝えようとしたのです。特に、祭儀の時には短い文章で表した信仰告白の文章が使われました。聖書が出来上がるまでは、このような短い信仰告白によって人々に自分たちの信仰を伝えていきました。
 神に対する信仰は抽象的なものでなく、具体的なものです。ですから、神が共にいるという事を、何か目に見えるしるしによって表すのです。聖書全体は私たちにこの事を伝えています。自分たちの体験した事を語る事によって、目に見えるしるしを通して信仰を伝えているのです。

秘跡である教会

 私たちの現在の信仰にとって教会はとても大切です。ただ自分が神を信じていると心に思うだけでなく、具体的な行動として表されたのが教会だからです。教会は目に見えるしるしとして、自分たちが神を信じている事を表す集りなのです。教会でお互いに自分たちの信仰を確かめあう事によって、普段の生活の中で信仰を続けていく事が出来るのです。この意味で教会が秘跡であると言われます。
 教会では七つの秘跡が行なわれています。これは日常生活と深く結びついたものであり、それぞれ別々に切り離しては意味がありません。又、神との出会いの場がこれだけに限られているという意味のものでもありません。神との出会いは人との触れ合いの中にも見いだされます。ただ、いつも神が共にいて下さる事を確かめるためにも、こうした秘跡が行なわれているのです。やはり、私たちは目に見えるしるしを通して神が働かれている事を確かめる必要があるのです。

年間第33主日C年(瀧野正三郎)
[こじか1980.11.16号掲載文を加筆修正]

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