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《みことば》 「世の終わり」
《聖  書》 マルコによる福音書 13:24-32

黙示文学

 紀元前165年から紀元後90年にかけて、黙示文学がさかんに書かれました。特に、セレウコス王朝下のアンティオコス4世による抑圧、拷問、死刑等の迫害の中でさかんになりました。内容としては、終末のことがらに特別の関心を持つ秘義について述べています。創造から終わりの時に至るまでの宇宙に対する神の目的を述べながら、正しい人たちが、近づきつつある終末のしるしを識別し、清い信仰を確立することを助けました。
 この終末思想は、ユダヤ人が勝利し、異邦人が征服されることを中心とし、未来を描写することによって、人々を激励することが目的でした。
 旧約聖書には、イザヤ書24〜27章、ヨエル書3章4章、ゼカリヤ書9〜14章、エゼキエル書38章39章などに、この萌芽がみられます。マカバイの反乱に至る迫害、恐怖、死においてこの文学が現れるようになり、ダニエル書もこれに属します。
 新約聖書でも、ヨハネの黙示録がこれに属し、さらに、マルコによる福音書13章(平行箇所・マタイ24章、ルカ21章)、一コリント15:20-28,51-53、一テサロニケ4:15-17なども同じ表現を使っています。
 聖書以外では、紀元前2世紀ごろの第一エノク、ヨベル書をはじめたくさんのものが残されています。

世の終わり

 黙示文学を通して書かれた世の終わりについて、当時の人たちは非常に関心を持っていました。それは、ちょうどローマの支配下にあって、いつも苦しい思いをしていたからで、いつかはローマの支配に打ち勝って、自分たちの王国を再建したいと思っていました。
 イエス自身は、こうした世の終わりに関して否定することはしていませんが、その時がいつ来るかについては、神しかわからないと答えています。そして、今必要なことは、皆が目覚めていることだと主張しました。つまり、将来のことばかり夢見ないで、もっと現実を見つめるようにいましめていました。
 これは現代の私たちにもあてはまる言葉です。神を信じる人は、ややもすると、現実のことを見つめようとせず、将来の救いばかりを期待します。自分の努力なしに、神に何かをしてもらうことを期待するのです。
 人々の目を現実からそらせ、将来に期待させることは、常に支配者が望んできたことです。終末思想が広がると支配者は喜ぶのです。私たちはもっと現実を見つめ、今何をなすべきかという点にもっと関心をはらわなければなりません。そうでないと、宗教がいつまでもアヘンの役割を果たし続けるのです。

年間第33主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1979.11.18号掲載文を加筆修正]

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