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《みことば》 「ささげもの」
《聖  書》 マルコによる福音書 12:41-44

 現在教会においては、神へのささげものとして、大地の恵みと労働の実りのかわりに、献金と維持費を納めています。維持費制度では、どうしても、献金の額によって信仰の度合いをはかってしまう危険がつきまといます。教会を維持していくためには金がかかりますから、どうしてもたくさん金を出す人が教会の中で大事にされがちです。しかし、これでは政治家と同じような体質を教会が持っていることになります。多く金を出した人にそれだけの見返りをすることは、政治家のとる態度です。  いったい神へのささげものは、どのようなものがいいのでしょう。
 やもめの姿が、私たちに答えを与えています。彼女は生活費の全部を神へのささげものにしたのです。私たちにこれだけの勇気があるでしょうか。しかし、こうしないと、いくら余っているものだけをささげていても、立派なささげものと言えないのです。
 例えば、困っている人を助けてあげようとするなら、困っている原因を取り除くために努力しないといけません。ただ、困っている人に物をあげても、その人のためになりません。むしろ、こうした現状を維持することになります。なぜ貧困があるのか。なぜ難民がいるのか。原因はどこにあるのか。原因を取り除くために何をする必要があるのか。こうした点を一つ一つ解決していかない限り、困っているから助けてあげましょうというのでは、かえって解決をおくらせる結果になります。
 神へのささげものは、人が自分の生活をかけて、人のために力をつくす時に完全なものになります。自分の身の安全を確保して、余ったものをささげるだけではたりないのです。こうした生活をかけたささげものがふえれば、社会全体が人間の住める世界に変わっていけるでしょう。

年間第32主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1979.11.11号掲載文を加筆修正]

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