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《みことば》 「いましめ」
《聖  書》 マルコによる福音書 12:28-34

律法社会

 ユダヤ教の成立と同時に、旧約のいましめや掟は、律法として絶対的な基準となりました。それは、人々が神殿や国土を失った時に、共通した基盤を聖書に求めたからです。それ以後、ユダヤ人にとって、旧約の律法はおかすことのできないものとなり、律法を守るための細かい言い伝えが作られていきました。律法学者と呼ばれる人たちが指導者となり、人々に律法を守らせるように注意していました。
 しかし、貧しい農民や、生活に苦しんでいる人たちは、とうてい律法に決められたことを守ることができません。そんなことをしていては生きていけなかったのです。こうした律法を守れない人たちは、地の民(アム・ハ・アレツ)として差別され、罪人としてみなされ、人々から避けられていました。また、病人なども、病気になったのはおまえが悪いことをしたからだという理由で、罪人あつかいされ、町の外に追い出されました。
 このように、律法の社会のもとで、差別され、苦しんでいる人たちがたくさんいましたが、一方では、少数の人たちが大きな土地を持って豊に暮らしていました。金持ちは神殿にたくさんの捧げものをするので、義人として認められていました。神殿に入れるのは、こうした義人と呼ばれる人で、罪人とみなされた人は神殿にも近づけませんでした。

隣人を愛せよ

 イエスの答えた第一のいましめは、当時のユダヤ人なら誰でも認めることです。しかし、第二のいましめは特別です。たいていの人なら、安息日を守ることとか、初物を神に捧げることと答えるでしょう。ここにイエスの思想の特色がみられます。イエスは、当時の律法社会にあって、多くの苦しんでいる人たちを見ました。そして、この人達こそ神の救いを必要としていると感じました。しかし、実際にはこの人たちは人々から相手にされず、神殿にも近づけません。自分たちは神からも見捨てられたと思っていました。
 「隣人を愛せよ」という言葉は、当時の律法社会を批判した言葉です。イエスは、律法の名のもとに人を差別していることに怒りを感じたのです。
 隣人を愛しなさいと言いながら、身近なところで人を差別していては何にもなりません。困った人を助けるだけでなく、人を差別しないことも大切です。

年間第31主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1979.11.4号掲載文を加筆修正]

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