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《みことば》 「罪人」
《聖  書》 ルカによる福音書 18:9-14

聖書における罪人理解

 聖書の中では罪人についてたくさん言及されています。しかし、それを読んでいくと、それぞれの福音書記者によって罪人理解の仕方が違っています。
 マルコによる福音書2:13-17では、イエスが徴税人レビを弟子にし、レビの家で罪人たちと食事をしていた時に、ファリサイ派の律法学者が不平を言いました。それに対して、イエスは「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と答えます。
 この記事を読んでいると、「罪人」は罪人とみなされている人を指している事がわかります。ファリサイ派の律法学者は自らを正しい人として位置付け、徴税人や貧しい人を罪人とみなして、この人々は神の国に入る事ができないと考えていました。しかし、イエスはこうした考えを受け入れませんでした。
 ところで、この同じ話でも、ルカによる福音書5:27-32では、イエスの答えとして「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」という言葉が伝えられています。
 この記事では、「罪人」はあくまでも悔い改めを必要としている人と考えられています。これはルカ福音書記者の考えというよりも、ルカ福音書記者の属していた初代教会の考えに従っていたと言えます。初代教会の信仰宣言の中心は悔い改めの呼び掛けであり、その伝統は教会の歴史の中に引き継がれる事になります。
 このように、すでに教会の最初の頃でも、罪人に対する理解の仕方が違っていました。どちらが正しいかという事ではなく、それぞれの立場からイエスの言葉や行動を理解していった事がわかります。
 イエスの言葉や行動を理解するとともに、イエスに従った弟子たちの信仰も聖書を通して理解していく事が大切です。「罪人」に対する理解の変化は、私たち一人一人の心の変化でもあります。一人一人の人間を受け入れていこうとする態度こそが大切です。

年間第30主日C年(瀧野正三郎)
[こじか1980.10.26号掲載文を加筆修正]

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