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《みことば》 「神のもの」
《聖  書》 マタイによる福音書 22・15〜21

政教分離

 今日の福音書にあるイエスの言葉は、どのように理解したらいいのでしょうか。キリスト教がローマ帝国の中で、広がっていくにつれて、政治と宗教が結びつき、物質的な世界は皇帝が、精神的な世界は教会が支配するようになりました。
 その後の教会の歴史の中で、政治との結びつきがあまりにも強くなりすぎたために、教会は政治について口を出さないようになり、政教分離の原則が作られていきました。しかし、その結果、教会は現代社会の問題に対して何も発言できなくなり、信仰は生活とかけはなれたものとなってしまいました。
 現実の問題に対して、教会も、はっきりした判断を下すべきだという考えが強くなり、1962年〜1965年に、第二バチカン公会議が開かれました。

社会とともに歩む教会

 京都教区でも、1981年に教区ビジョンが作られ、『私たちは、この社会のあり方に迎合するのではなく、社会の中、人々の中にある福音的なものを、キリストのメッセージ、みことばの種として受け入れ、それに努力すること、その反面、社会の中にある非人間的なもの、福音の精神に反するものに対しては、はっきり声をあげ、賢明にこれを正すことが必要であると言えるでしょう』と言われています。
 宗教は政治と結びついても、無関心であってもいけない、常に、福音的な判断をもち続けなければいけないのです。
 『福音宣教』という表現がやっと正しく理解され、私たちの毎日の生活の場で、一人一人が福音のあかし人となっていくことの必要性が認められて来ました。社会の必要としていることに耳を傾け、福音の精神をもって、これに応えていくことはとても大変ですが、私たちの努力のつみかさねによって、福音宣教は成り立っているのです。

年間第29主日A年(瀧野正三郎)

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