<ふりがなつき「PDF」ダウンロードできます>

《みことば》 「富」
《聖  書》 マルコによる福音書 10:17-27

貧しい人々

 聖書では「貧しい人々は幸いである」(ルカ6:20)と言われています。しかし、この言葉をマタイ福音書記者は、「心の貧しい人々は幸いである」(5:3)という言葉に置きかえています。キリスト教の歴史の中で、貧しさということが、生活が貧しいということではなく、むしろ、富に執着しないとか、心の貧しいという意味に理解されてきました。そこで、福音はすべての人に向けられているんだから、金持ちも福音を受けられるはずだということになっていきます。
 しかし、聖書の言葉をよく見ると、福音は貧しい人々に向けて告げられています。聖書に出てくる「貧しい人々」は、生活が貧しいために旧約の律法も守れない人々でした。当時の社会では、貧しい人々と罪人とは同列に置かれていましたので、貧しいがゆえに罪人とみなされていた人々は、社会のかたすみで神からも見捨てられた存在としてほそぼそと生きていました。
 イエスが当時の社会の中で罪人とみなされていた貧しい人々のところへ行って、人々を勇気づけ力づけられたことによって、貧しい人々は自分たちも神の国に入ることができると知りました。今までは自分たちは神の国に入れないと思っていたのに、神の国に入れることができるということは人々にとって福音そのものでした。

富める者

 一方、当時の社会の中でお金を持っている人々はイエスの行動を非難しました。イエスが罪人とつきあっているのはけしからんと言って、イエスを受け入れようとはしませんでした。富める者が神の国に入ることは難しいと言われるのは、その人々がイエスの言葉と行ないを受け入れにくいことを示しています。
 イエスはすべてを捨ててイエスに従いなさいと言います。はじめから何も持たない人はイエスに従って行きやすいのですが、たくさんの富を持っている人々はなかなか捨てきれません。そこで、教会が発展していくと、何も財産のすべてを捨てることはない、余った金を貧しい人々にほどこせばそれでよいと言われるようになります。
 しかし、はたしてこのような理解でよいのでしょうか。福音は貧しい人々へ向けられているのです。

年間第28主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1979.10.14号掲載文を加筆修正]

inserted by FC2 system