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《みことば》 「男と女」
《聖  書》 マルコによる福音書 10:2-12

創造

 創世記の中で神が天地を創造されたことが伝えられています。この創造に関する記事を通して、何を伝えたかったのでしょうか。
 創世記1章〜11章にかけては、人間の罪と神の恵みについて書かれています。現実の人間は、お互いに自分のことしか考えられず、すべてを他人のせいにしてしまいます。しかし、神はそうした人間を見捨てることなく、いつも力をかしてくださるのです。
 創造の話しを通して、天地がどのように造られたかというよりも、人間は自分一人では生きていけない、誰かによって生かされている者だということを知る必要があります。
 男と女の創造の話しもまた同じです。人が一人で生きていけないから、助け手が必要なのです。人間が常に助け手としての神を必要とするように、男と女とが造られました。

男と女

 人間の社会は、男と女とによって成り立っています。しかし、一般的には、男は外で働くもの、女は家の中で家事をするものという先入観がありました。そうしたことから、社会の動きそのものが、男を中心にして動いています。はたしてこれでよいのでしょうか。
 聖書の中でも、まえに「子ども」についてみたように、人の数をかぞえる時も、女の人は頭かずには入っていません。また、妻子は男の財産として考えられていました。
 また、子どもを産めない女は、神からも見捨てられたものとして考えられ、子どもを産めない妻にかわって、使用人の女に子どもを産ませていました。
 こうしたやり方に対して、イエスは何を主張したかったのでしょうか。「子ども」について見た時にもふれておきましたが、社会の中で一人の人間を無視することに対して、イエスは怒っていたと思われます。女性についても言えることで、女性を財産や一つの道具としてしか考えていないような社会制度に対して、イエスがこれはおかしいと言っているのです。
 このことは、イエスの時代だけでなく、今の社会にもあてはまることです。男女同権が叫ばれているとはいえ、まだまだ男性中心の社会です。今の社会の現状に私達はもっと関心を持ち、男と女についてよく見て、人間が一人で生きていくことができない、お互いが助け合って生きていることを見直す必要があります。

年間第27主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1979.10.7号掲載文を加筆修正]

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