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《みことば》 「捨て石」
《聖  書》 マタイによる福音書 21:33-43

合理化  今の私たちのまわりを見まわすと、なるべく無駄をなくそうという考えがあり、『合理化』はとてもよいことと考えられています。確かに、合理化によって地球の資源を無駄に使わなくなれば、それは結構なことです。しかし、合理化の目的はいかにたくさんの利益をあげるかにあります。
 こうした考えに従って、遊んでいる土地があれば何かに利用しようとします。水のあまり流れていない川にはふたをして、道路にしてしまいます。空間があいていれば高層ビルを建てようとします。
 このように、どんどん無駄をはぶこうと進められていく過程の中で、大切なものが失われていくような気がします。工場では、新しい機械が導入され、古い機械はこわされています。今まで十人が働いていたのに、たった二人だけで働くことになります。その結果、八人は別の仕事にまわされたり、失業してしまいます。新幹線のスピードアップによって、騒音問題が出てきています。

捨て石

 イエスの生き方はどうだったでしょうか。当時の支配者たちから見れば、役にたたない捨て石だったのです。現代でも、イエスと同じように生きようとすれば、合理化にはついていけそうにありません。結果だけを気にして行動したり、利益だけを求めて行動するのではなく、一人一人の努力している姿を評価していくことが大切です。
 イエスの死は無駄死にのように考えられがちです。目に見えた成果も得られず、最後には、つき従っていた弟子たちからも見捨てられました。
 効果の見えてこない、無駄なような努力こそ大切にすべきなのです。こうしてこそ、イエスの死が、私たちの生活の土台となる石にかわっていきます。なんの得にもならないように見える行動にも、価値を見い出すことができるようになります。

年間第27主日A年(瀧野正三郎)

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