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《みことば》 「仲間」
《聖  書》 マルコによる福音書 9:38-43,45,47-48

気づかない世界

 私たちには気づかない世界がたくさんあります。よく差別について話される場合に、気づかない人々について語られます。それは私たちは差別していないと思っていても、現実に差別があり、差別されていて苦しんでいる人がいるのです。しかし、こうした現実に気づかない人々、あるいは、気づこうとしない人々にとっては、差別を受け苦しんでいる人々は、気づかない人々なのです。
 私たちはこうした気づかない人々を知らず知らずのうちに無視し、あるいはむしろ、差別して圧迫しているのです。
 イエスの答えの中で、「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」という表現があります。この表現をひっくりかえしてみますと、「わたしたちの味方でない人は、わたしたちに逆らう人である」ということになります。このことは差別を受けている人からよく注意されます。差別の問題について、中立ということはありえないのです。差別を受けている人の仲間でなければ、自分は気づかないうちに差別しているのです。 こうしたことは、別に差別の問題に限ったことではありません。人は自分の気づいている世界のことだけで判断し行動しようとします。だから、自分の気づいている世界以外の人間や、出来事を無視してしまいます。これが今日のイエスの言葉の問題点です。

仲間

 仲間について考えると同じことが言えます。仲間同士で力を合わせて団結することは確かにすばらしいことです。しかし、あまり仲間意識が強すぎると、仲間でない人を受け入れようとはしません。
 教会の共同体も同じことが言えます。教会にきている人同士がお互いにあまりよく知らないから、お互いに相手を知るようになろうとすることは確かに大切なことです。しかし、それがいきすぎると、自分たち教会にきている人たちだけで固まってしまい、他の人を受け入れようとしなくなります。
 誰がイエスの仲間かという判断は、いかにその人が教会に来ているかという基準で測れないものです。むしろ、いかにその人がイエスの行なわれたように、一人一人の人間を大切にしているかという点が判断の基準となるのです。こうした基準で見れば、何もキリスト信者だけがイエスの仲間ではありません。ほかにもたくさんの人たちがイエスの仲間として行動しているのです。

年間第26主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1979.9.30号掲載文を加筆修正]

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