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《みことば》 「迷い出た羊」
《聖  書》 ルカによる福音書 15:1-10

見失った羊のたとえ

 このたとえは、マタイとルカの二つの福音書に伝えられています。同じたとえなのですが、違った意図で伝えられています。
 ルカ福音書を見ますと、たとえの話された状況は、イエスが罪人たちと食事をしたりしているのを、律法学者たちが批判し、それにイエスがたとえで答えています。ここでは、見失った羊とは罪人であり、牧者は悔い改める罪人を喜んで迎え入れる父なる神の姿なのです。
 マタイ福音書(18:12-14)を見ますと、小さな者が一人でも滅びることを望まない父なる神の考えを示しています。ここでは、教会の仲間となった人は誰でも受入れ、自分たちの中から落伍者が出ないようにしなければならないのです。
 同じ一つのたとえが、新しく生れた教会の中で別々に解釈されていったのです。

たとえの原型

 それではもともとのたとえはどうだったのでしょうか。九十九匹を放っておいてでも、迷い出た一匹を探しにいく牧者の姿を描いていたと思われます。
 イエスの時代でも、今の時代でも同じことですが、社会一般の考えでは、社会の中でお荷物になる人、一般的に落伍者と呼ばれている人は切り捨ててしまえばよいということになります。
 しかし、イエスはそうした社会一般の考えに対して、九十九匹を放っておいてでも、一匹を選ぶことの大切さを訴えています。
 イエスの言葉は弟子たちにさえもなかなか受入れられませんでした。教会の中でも、イエスの言葉は自分たちの都合のいいように解釈されてきたのです。イエスのなまの言葉に耳を傾ける努力が必要なのです。

年間第24主日C年(瀧野正三郎)

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