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《みことば》 「ゆるしの秘跡」
《聖  書》 マタイによる福音書 18:21-35

仲間はずれ

 私たちの中で、誰か悪い事をしたり、仲間を裏切ったりすれば、すぐに仲間はずれにしてしまいます。仲間はずれにされた人は、とてもさみしくなるので、反省してみんなにあやまるようになります。みんなも、その人があやまってくれるのを期待しているのです。
 悪い事をした時には、神にあやまるだけでは足りません。いくら神にごめんなさいとあやまっても、みんなにあやまらなけば、仲間に入れてもらえません。

ゆるしの秘跡

 教会では、罪を犯した人をどのように受け入れているのでしょうか。罪を犯したら、ただ神にだけあやまればいいのでしょうか。神は人が心からあやまれば、罪をゆるします。でも、神にあやまっても、教会の仲間にあやまった事にはなりません。私たちが罪をおかすと、教会の仲間からはずれてしまいます。ですから、教会の仲間にもう一度入れてもらえるように、みんなに頼まなくてはなりません。そのために、教会ではゆるしの秘跡があります。
 初めの頃、イエスに従った人たちはどのようにしていたのでしょう。初めの頃は、洗礼を受けてキリスト者になると、もう罪を犯すはずがないと考えていました。ただ例外として、一生に一度だけ教会のみんなのいる前で罪を告白し、みんなからゆるしてもらえる機会が与えられていました。ふだんは、お互いに罪をゆるしあったり、人に対するよいおこないなどによって罪がゆるされていました。
 例えば、迫害が起こって、信仰から離れた人がもう一度教会の仲間に入れてもらいたければ、みんなの前で罪を告白し、ゆるしてもらいました。ゆるしてもらった人は、教会の仲間として受け入れられ、みんなと一緒に信仰を強める事ができるようになるのです。
 ある時期から、個別に司祭のところへ行って罪を告白し、ゆるしをもらうという習慣がふつうになりますが、教会の仲間にあやまるという気持ちがうすれていきました。そのために、最近では共同回心式が行なわれるようになりました。お互いに罪を許し合う事をはっきりさせるためです。
 今日の福音の中でも、イエスは弟子たちに対して、何度も兄弟をゆるすように求めています。神にあやまるだけでなく、迷惑をかけた人にもあやまって、ゆるしてもらわなくてはなりません。又、心からあやまっている人をゆるしてあげて、心よく受け入れるようにしましょう。

年間第24主日A年(瀧野正三郎)
[こじか1990.9.16号掲載文を加筆修正]

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