<ふりがなつき「PDF」ダウンロードできます>

《みことば》 「開く」
《聖  書》 マルコによる福音書 7:31-37

福音

 福音は誰に向かって語られているのでしょうか。聖書の記事を読むかぎり、イエスが貧しい人たちや、病人や、罪人と呼ばれている人たちや、圧迫を受けている人たちと行動をともにし、この人たちの力になっていたことがはっきりしています。  祭司や、律法学者たちは、イエスの行動に対して、「あいつは、罪人と一緒に食事をしている」と言って非難こそすれ、受け入れようとはしません。
 イエスから病気をなおされた人は、イエスのことを人々に向かって言いふらしました。しかし、イエスはこのことを誰にも言わないように口止めしました。どうしてイエスは自分のしたことを人に話させないようにしたのでしょう。イエスのうわさが広まったほうがやりやすいのではないでしょうか。
 ここで問題なのは、その人が何を伝えたかと言うことです。つまり、福音の内容が問題なのです。イエスが聞こえない人の耳を開き、口のきけない人を話せるようにしたことだけを伝えても、それは福音ではありません。それはただの不思議なわざにしかすぎません。大事なのは、イエスが不思議なわざをしたことではなく、誰に向かって行なわれたかということです。
 イエスが、金持ちや、権力者を相手にせず、むしろ、社会の中で苦しみ、圧迫を受けている人と共に行動されたことが福音なのです。つまり、福音とは語るべき内容ではなく、イエスの生き方なのです。だから、イエスのあとに従ってイエスと同じように生きないかぎり、福音も語れないのです。

心の開かれた者

 イエスはなぜ社会の中で苦しみ、圧迫を受けている人と共に行動したのでしょうか。それはこの人たちの心が開いていたからです。
 権力者や金持ちは、自分の立場を守るために多くの人たちを圧迫し、人々の犠牲の上に立って安定した生活を送っていました。この人たちには心を開く余裕がなかったのです。
 しかし、社会の中で圧迫されている人たちは、その困難な中で仲間を大切にし、助け合うことの必要なことを身をもって体験していました。生きていくためには、力のない者同士が力を合わせざるをえないのです。この人たちは、生きていくために、いやでも心が開いていくのです。イエスがこの人たちと共に行動したのは、むしろ、この人たちの中に福音を見いだしたからです。
 福音は外から与えられるものではなく、自分の心を開くことによって福音を生み出すのです。イエスはそれを人々に伝えたかったのです。

年間第23主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1979.9.9号掲載文を加筆修正]

inserted by FC2 system