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《みことば》 「忠告」
《聖  書》 マタイによる福音書 18:15-20

忠告

 私たちは誰でも人から忠告されるといやなので、すぐにおこってしまいます。人の足りない点にはよく気がついて人を責めたりしてしまうのに、自分の事になると気がつかない事が多いですね。
 自分では認めたくない事ですが、回りの人が自分の足りない事を見ていて、忠告してくれます。人から忠告されても受け入れず、すぐに忘れてしまうと、なかなか自分の欠点や、まずい点を直していこうとしなくなります。
 互いに兄弟のように相手の事を思っているのなら、遠慮せずにお互いの足りない点や悪い点を忠告しあう事が大切です。ただ、お互いに相手の事を責めるようになってしまうと、かえって忠告しなかったほうがよかったという結果になってしまいます。
 まず私たちに求められている事は、自分も含めてお互いに少しでも成長しようという気持ちを持つ事です。今の自分の現状に満足していて、変わりたくないと思っている人に、ただ忠告してもかえっておこらせるだけに終わってしまいます。
 まずそのためには、お互いに相手の事を知るように努力する事が大切です。その人がなぜそのような行動をしたのか、何か原因があるはずです。結果だけ見て責めるのでなく、一緒に原因を探す事が大切です。自分一人では原因を取りのぞけない事があります。お互いのささえがあってこそ、自分も変わりたい、成長したいと思うものです。

教会

 今日の福音の最後に、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」という言葉があります。
 これは教会の事を指して言われた言葉です。教会はもともと「集まる」という言葉からできました。しかも、ただ集まるのではなく、イエスの名によって集まるところが教会と言われています。
 しかし、その教会の中で本当に兄弟同士忠告しあっているでしょうか。ただ集まって来て、みんなで一緒に神に感謝しているだけでは足りないのです。神を通してお互いが兄弟として招かれているのです。兄弟の事を何も知らずに、ただ神に向かって祈っているだけでは足りないのです。
 集まっている者同士でまずよくお互いの事を知りあい、忠告すべきところはお互いに忠告しあってよりよい集まり(教会)にしていきましょう。

年間第23主日A年(瀧野正三郎)
[こじか1990.9.9号掲載文を加筆修正]

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