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《みことば》 「努力」
《聖  書》 マタイによる福音書 16:21-27

努 力

 私たちの回りを見回すと、いろんな足りない事や、満足できない事がたくさんあります。たいていの人たちは、これはしかたないと思ってあきらめてしまったり、あるいは制度が悪いからだと開き直ったりしてしまいます。でも問題が解決されるわけではありません。誰かがやってくれるだろうと、みんなが思ってしまったら、何も変わりません。やはり、今の現状を少しでも変えていくためには、それぞれ一人一人が自分のできる所で努力してみる事が必要です。
 何もおおげさな事を考えなくてよいのです。例えば、今まで人の前ではずかしくて発言できなかった人も、少し努力する事によって、人の前で自分の意見を言う事ができるようになります。自分は何もできないとあきらめないで、なんとか努力してみましょう。

自分の十字架を背負う

 聖書の中でイエスに従った弟子たちはとても弱々しく描かれています。今日の福音の中に出てくるぺトロも、イエスがエルサレムに行った後でつかまえられ、そして殺されてしまうだろうと言った時、決してそんな事が起こりませんようにと願っています。ぺトロにしてみれば、考えてもいなかった事でしたから、とてもイエスの言う事を受け入れられなかったのです。
 ぺトロだけでなく、ほかの弟子たちも同じで、自分たちで何かしようと思っていませんでした。むしろ、イエスがその当時支配していたローマの軍隊を打ちやぶって、自分たちの独立した国を建ててくれるものと期待していました。自分たちの努力によって、現状を変えていこうとは思っていなかったのです。
 しかし、イエスは自分が殺された後の事が心配になり、前もって弟子たちにその心がまえを持たせようとして、「自分の十字架を背負いなさい」と言ったのです。大きな事でなく、たとえ小さな事でも、自分が努力する事によって少しでも現状を変えていく事ができれば、それが自分の十字架を背負う事になります。
 それぞれ置かれた立場の中で、自分にどんな事ならできるのかよく考えてみましょう。あきらめるのでなく、少しでも努力して自分の十字架を背負って歩きましょう。

年間第22主日A年(瀧野正三郎)
[こじか1990.9.2号掲載文を加筆修正]

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