《みことば》 「つまずく」
《聖 書》 ヨハネによる福音書 6:60-69
つまずきの石
福音のことばが、人にとってはつまずきとなることは、イザヤ書にも示されています。
『主は聖所にとっては、つまずきの石
イスラエルの両王国にとっては、妨げの岩
エルサレムの住民にとっては
仕掛け網となり、罠となられる。
多くの者がこれに妨げられ、倒れて打ち砕かれ
罠にかかって捕らえられる。』(8:14-15)
このように、聖書の中では、神が民の信仰をより強いものにするために、つまずきの石を与えると書かれています。自分たちの思いではなく、神の思いを理解するよう常に求められているのです。こうした意味で、つまずきの石はむしろ試練として受けとめられています。
幻想
イエスに従った弟子たちが、イエスに間違った幻想を抱いていたことは、聖書のあちこちで見られます。こうした間違った幻想を抱いていた弟子たちは、イエスのことばと行いに深く触れるにつれ、つまずくようになります。
私たちも、キリスト教や教会に対して、間違った幻想を持っていることが多いです。自分たちの、こうした幻想とあわないところが出てくると、すぐに不平をいう形で出てきます。いろんな人の不平を聞いていますと、たいていは間違った幻想を持っていて、現実と幻想が違っていることに原因があります。
もちろん、このような幻想を作ってきた指導者の責任も問われます。教会共同体の理想はこのようであるべきだとか、信徒・修道者・司祭の理想はこのようであるべきだと教えてきた歴史があります。このような教会の歴史を反省し、第2ヴァチカン公会議では、理想から出発するのではなく、現実から出発することの大切さを訴えています。
私たちもいつまでも自分たちの幻想にこだわるのでなく、現実をよく見つめ、現実から出発した行動がとれるようにしましょう。
年間第21主日B年(瀧野正三郎)
[こじか1979.7.8号掲載文を加筆修正]