<ふりがなつき「PDF」ダウンロードできます>

《みことば》 「教会」
《聖  書》 マタイによる福音書 16:13-20

集 会

 「教会」という言葉は何か組織のあるもののように考えがちですが、聖書では「集会」の意味で使われています。使徒言行録7:38には、荒れ野の集会の事がでてきます。イスラエルの民がシナイで神と契約を結ぶのですが、この時に神からの言葉を聞くためにイスラエルの民が集まったのです(出エジプト記19章)。これが荒れ野の集会と呼ばれ、いつまでも記憶にとどめられました。申命記9:10では、山で火の中から神が語られた事を記念して、「集会の日」という表現を使っています。さらに、列王記上8:5では、契約の箱の前に集まった民全体を「全共同体」として表わしています。

神の民としての教会

 神の民としての教会は、キリストの教会にも使われています。エルサレムの教会とか、コリントの教会のように、個々のある地方の教会を指している場合や、家の教会(ロマ16:5)のように、ある個人の家に集まる教会を指している場合もあります。
 聖書でキリストの教会全体を指して使われている個所は、マタイによる福音書16:13-20と、18:15-20です。この個所から教会の中で誰が権威あるものかという議論がなされますが、あくまでも集会としての意味を持つ教会の事を理解する必要があります。
 第二バチカン公会議の教会憲章では、「神の民」としての教会が強調されるようになり、それまでよく使われていた「キリストのからだ」としての教会にとってかわるようになりました。これは、決して新しい表現を使ったものではなく、昔からの教会の用語にむしろ従ったのです。キリストのからだとしての教会では、組織の面や誰が上に立つかといった事に関心がむけられて、心から神の言葉を聞くための集まりとしての教会であるという面が弱くなっていました。これを改めるために、神の民としての教会という昔からの用語を使うようにしたのです。教会が神の言葉を聞く神の民となるようにお互い努力しましょう。

年間第21主日A年(瀧野正三郎)
[こじか1980.6.29号掲載文を加筆修正]

inserted by FC2 system