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《みことば》 「いのちのパン」
《聖  書》 ヨハネによる福音書 6・51〜58

いのちのパン

 「いのちのパン」という表現は、ヨハネによる福音書の特色ある言葉です。6・22〜59には、「いのちのパン」についての説明が詳しく伝えられています。
 ヨハネによる福音書には、最後の晩さんの記事が13章にのっていますが、他の福音書やコリントの信徒への手紙などに伝えられているイエスの言葉が伝えられていません。このイエスの言葉は、感謝の祭儀の中の聖別の言葉として、繰り返し教会の典礼の中で唱えられてきています。
 しかし、54〜57にかけての言葉をみますと、イエスがいのちのパンであり、これを食べる人は永遠に生きることがはっきり伝えられています。ヨハネ福音書6章は、教会の中で、聖体について教えていくために書かれたと考えられています。
 イエスの十字架の死にもかかわらず、イエスは今も私たちのうちに生きておられ、私たちがその肉を食べ、その血を飲むことによって、はっきりと知ることができます。

いのちの尊さ

 「いのち」という言葉を考える時、常に「死」についても考えなければなりません。人は必ず死ぬものであり、だれも死をまぬがれることはできません。人にとって死は大きな問題です。
 しかし、人にとってさけることができない死も、それですべてが終わるのではありません。イエスは、十字架の死を通して、私たちに永遠のいのちがあることを示しました。つまり、たとえ十字架上で殺されても、イエスがいつまでも生きていることを私たちに知らせました。
 私たちはもっと「生きる」ことの大切さを考えなければなりません。また、今ほど、「いのち」の尊さが叫ばれている時代は、かつてなかったように思えます。私たちの手で、「いのち」の尊さを伝えていきましょう。

年間第20主日B年(瀧野正三郎)

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