<ふりがなつき「PDF」ダウンロードできます>

《みことば》 「つぶやく」
《聖  書》 ヨハネによる福音書 6・41〜51

民のつぶやき

 出エジプト記16章から、エジプトを脱出したイスラエルの民が、荒れ野をさまよった物語りが始まります。この物語りの最初に、イスラエルの民がモーセとアロンにつぶやいています。新共同訳では、「不平を述べたてた」と訳されています。
 『我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。』(出エジプト記16・3)
 神はこの民のつぶやきに対して、マナとうずらを与えるとモーセに約束しています。
 この記事を見る限り、つぶやくことは決して罪とは考えられていません。むしろ、民の神に対する強い祈りとして受けとめられています。
 詩編も、『主よ、わたしの言葉に耳を傾け、つぶやきを聞き分けてください。』(5・2)と唱えています。

私たちのつぶやき

 ユダヤ人がイエスにつぶやいた時、イエスは『これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。』(6・50)と答えています。
 私たちも、現実のいろんな問題に直面した時、ついついつぶやきたくなります。聖書では、つぶやく事は決して罪とは考えていません。むしろ、神はつぶやきに対して答えを与えています。この意味では、どんどんつぶやけばよい事になります。
 つぶやく事は、あきらめないという意志表示かもしれません。あきらめないで、常に求め続ける事が大切なのです。私たちが常に求め続ける時、神は答えを下さるのです。

年間第19主日B年(瀧野正三郎)

inserted by FC2 system