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《みことば》 「祈り」
《聖  書》 ルカによる福音書 11:1-13

主の祈り

 教会では、イエスが弟子たちに教えた祈りとして「主の祈り」を大切にしています。当時のユダヤ人たちが唱えていた長い長い祈りに変えて、単純に祈ることの大切さをイエスは弟子たちに教えました。
 「父よ」。神をおそれおおいものとして遠ざけるのでなく、身近にいていつも私達を力づけてくれる方として呼びかけます。
 「み名があがめられますように」。私達をささえている方がいつもいて下さることを、みんなが知ることができますように。
 「み国が来ますように」。すべての人が平等で、一人一人が大切にされる社会が来ますように。
 「かてを毎日与えて下さい」。現実の問題から目をそらすのでなく、今日一日を充実して生きることができますように。
 「罪をゆるして下さい」。私達がお互いの足りない面、弱さを認めあい、助けあって生活していくことができますように。
 「誘惑にあわせないで下さい」。私達のおかれている現状に失望し、あきらめてしまわないで、いつも希望を持ち続けることができますように。

祈り

 祈りは何か願うことと考えられがちです。この世でかなえられないことを祈ることによって、誰かが何とかしてくれると期待してしまうのです。しかし、祈りは願うことでなく、まず聞く事から始まります。何が大事な事なのかを知って、そのためにどうすればよいか決める事でもあります。
 自分たちが精一杯行動した時に始めて、他の人の力を求めることができるのです。始めから誰かが何とかしてくれると期待していたのでは足りません。求めることは誰かにお願いするだけでなく、自分で探し、困難を切り開くことも含んでいます。
 祈ることはただ自分の願いを求めることだけでなく、自分をみつめることも含まれています。自分がどういう状態に置かれているかを静かに見る事も大切です。静かに見る事によって、次ぎに自分がなすべき行動をよく判断できます。自分の行動をゆっくりと反省することも祈りの大切な部分です。

年間第17主日C年(瀧野正三郎)
[こじか1980.7.27号掲載文を加筆修正]

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